朝の満員電車を平和にしたい

私は毎朝、Door-to-Doorで1時間半近くかけて通勤している。

高校生のときから電車で1時間かけて通学していたこともあり、電車に1時間近く乗っていることは苦に感じないと思っていた。
でも、社会人になって「通勤ラッシュ」の満員電車に乗って気がついた。毎日が闘いだ。とてもつらい。

まず、押した押してないで言い争うサラリーマン。
濡れた傘の水滴がついただなんだで怒り狂うおばさん。
優先席でスマホを触るなと叫び続けるおじいちゃん。
乗り換えの駅で向かいのホームに来ている電車に向かって猛ダッシュで走り、座れないと怒る中年男性。

私は先日、若い女性になぜか突然怒り狂われ、傘で左足を3回もペシーン!と叩かれた。普通に痛かった。
もう、毎日地獄。防犯カメラをつけてほしい。

朝の電車はなぜこんなにもイライラしてる人が多いのだろう。眠いのはわかる。仕事に行きたくないのもわかる。私もそうだ。
でもだめでしょう。全く知らない、関係ない人に八つ当たりするのは違う。

 

イライラするのはわかる、私もこの記事を書いている今、同じ車両でいざこざが起きているのが聞こえる。私もイライラしてしまう。これからの日本を担う若者に、そんなはしたない姿を見せて良いのでしょうか。と、争いを起こす人たちに言いたい。

思うのは自由だけど行動に出してはだめですね。

 

思わず怒ってしまいそうな時にオススメなのは、目を瞑ること。目を瞑ると何も見えないので一時的にではあるが現実逃避をすることができる。

私も人に対して、こいつ何言ってんだぶん殴…って思ってしまうときはまず目を瞑って気持ちを落ち着けるようにしている。

 

あまりにも最近、電車の中の空気が悪すぎるのでそろそろ「喧嘩はやめて」というポスターを駅に貼ってほしいなと思う。

マナーについて書いてあるポスターはよく見かけるが、少しのことで頭に血が上ってしまう人はそんな遠回しの言い方では伝わらない。

「電車でいざこざを起こしたら、まずは会社に連絡を入れて、罰金を取るか逮捕をしますよ」

このくらいどストレートにやってくれないと、永遠にこの問題はなくならないのではないかと思う。

 


というオチも無く良い記事が書けない自分の非力さにもイライラしてしまう私なのだった。

働いてきます。

AKBを聴いていると高校生に戻れるし、椎名林檎を聴いてると大学生に戻れる

 

音楽はすごい。

影響力が半端じゃない。

 

友達とカラオケに行った時、知らない曲を歌われてもメロディーや歌詞が自分好みだと帰り道に検索してもう一度聴いてみる。そしていつの間にかそのアーティストを好きになって他の曲を聴きはじめる。

 

見知らぬ音楽との出会いは様々なところに落ちている。アルバムを垂れ流しにしていたらいつの間にか覚えていることや、ストリートライブをしている駆け出しシンガーソングライターがカバーをしていて、聴き入ったりすることもある。

 

そんな音楽でも、私はその当時聴いていた音楽を聴くと、タイムスリップしたかのように当時の思い出が蘇ってくる。

小学生のときはよく、ORANGE RANGEを聴いていたし、中学生のときはBUMP OF CHICKENが大好きだった。

 

高校生になると、AKB48をひたすら聴いていた。意外にも聴き入ってみると、女子が共感できるフレーズが散らばっている。

当時ダンス部だった私は、学園祭での発表のオープニングにAKBを完コピして踊ることがあった。そのため、ひたすら聴いた。飽きるくらい聴いた。

当時付き合っていた他校の元彼が学園祭に来てくれて、一緒に校舎を回った。元彼はよくsupercellを歌っていた。これもまた好きだった。

 

大学生になると先ほどの彼とは別の、当時付き合っていた他大の彼氏に浮気をされた反動で遊び歩くようになった。

椎名林檎の「歌舞伎町の女王」を聴きながら夜中の歌舞伎町を歩いたし、「罪と罰」を聴きながら朝9時、渋谷に住んでる男の家を後にすることもあった。

 

それさえ聴くだけで、当時の思い出が蘇る。鼻をツンとされ、お腹もキュッとなるような不思議な感覚になってくる。

今の現実世界に疲れたとき、わたしはこうやって昔聴いていた音楽を聴いてタイムスリップをしている。これが意外と楽しい。

ただし気をつけているのが、当時の気持ちに戻りすぎないこと。ただの現実逃避し続けているダメ人間になってしまう前に。

サイゼリヤのペペロンチーノ、最強説

 

突然ですが、サイゼリヤのペペロンチーノってすごくないですか?

いや、正確には現在は「アーリオ・オーリオ」と呼ぶべきなのでしょうか。

 

今回の記事ではペペロンチーノ時代の話も含みますので、統一してペペロンチーノと呼ばせていただきます。

 

何がすごいかは後ほど。

 

 

私は幼い頃からサイゼリヤが大好きで、家族とはもちろん、、小学生のお小遣い制だった頃からよくお世話になっていました。

 

その中でも一番好きなのが「ペペロンチーノ」でした。

小学生の頃はニンニクと鷹の爪のダブルパンチがものすごく刺激的で、からいものが苦手な私は食べきることができませんでした。

食べきることができない一方で、あの絶妙なオリーブオイルの絡み具合が私の心を射止めました。

 

不思議なことに、何回も食べているとペペロンチーノのからみは克服することができました。

 

「もう、これしか食べれない…!」

 

心からそう思いました。

たまにたらこソースシシリー風に浮気をしてしまうこともありましたが、小学生から現在の24歳に至るまでペペロンチーノのことを忘れたことはありません。

 

しかし、サイゼリヤやペペロンチーノのにも変化が起こります。

体感ですが、2013〜2014年頃からペペロンチーノに入っていたゴロッとしたニンニクが消えてしまいました。

からいからいと言いながらニンニクごと食べきるのが最高の幸せだった私にとって、とても衝撃的な出来事になりました。

 

オイルにかすかなニンニクの香りがしてるけど…。うん。パンチが少ない…。

 

しかし、そのパンチの少なさを感じながらもオリーブオイルとの絡み具合は見事なまでに私の心を掴んで離しませんでした。

 

そしてある日、新たな出会いをします。

「パスタのダブルサイズ」です。

 

ペペロンチーノは299円。ダブルサイズにしても574円。

安い、安すぎる!

 

米は多くの量を食べられないけど、パスタなどの麺は余裕で3人前くらいペロリと平らげてしまう私にとっては唯一幸せを感じられるひとときとなったのです。

 

美味しいものを、お腹いっぱい食べられる。

そんな幸せを教えてくれたのはサイゼリヤのペペロンチーノでした。

 

ニンニクの旨み、オイルと麺の絡み、価格の安さ。

すべてがすごい、すごすぎるのです。

 

 

結局、今の私は以前までのニンニクゴロゴロペペロンチーノを忘れ、現在のニンニク成分配合のオイルパスタを好み、毎回ダブルサイズを注文して食べています。

 

時が解決するって、まさにこのことですね。

 

このペペロンチーノへの愛は忘れずに、サイゼリヤへ通い続けたいと思います。

 

 

新卒入社した私が新卒採用に感じた罠

 

こんにちは。

お久しぶりの投稿となってしまいましたが、元気です。

 

今日は会社の人と将来について、働き方について、話していて色々思うところがあったので、書いていこうと思います。

 

その前に、私について。

 

私は大学を卒業し、現在の職場に新卒入社をしました。

後2ヶ月後には社会人3年生になります。

 

入社直後の配属先はバリバリの営業職でした。

アルバイトは、居酒屋や某企業で事務やテレアポ、派遣のイベントスタッフなど色々と経験してきてはいましたが、入社時には社会の厳しさを知らない赤ちゃんでした。

 

会社に属してから、生まれてはじめて理不尽な怒られ方をしたり、セクハラをされたり、営業をしていた1年半の間で数え切れないほどの新たな出来事を経験しました。

もちろん、良い経験もたくさんありました。

 

しかし、入社2年目になり、営業職として一生働いていく自分の未来を想像できなくなりました。

私は結婚もしたいし、出産もしたい。

それも遠い未来の話ではない。

 

一生、営業職として自分の手に職がないまま歳をとり、やりがいを感じながらお金を稼ぐ自信がありませんでした。

もちろん、営業職はスキルが身につかないと言いたいわけではありません。

 

長い目で見たとき、営業として働き続けるという姿は、私が理想としている働き方とは真逆だと、経験して実感しました。

 

 

そこで手に職をつけたいという想いで、ライター職へ異動。

現在は取材ライターとして奮闘している毎日です。

 

 

 

 

さて、話が逸れましたが、今日は「手に職を持っている」会社の人と話して感じたことを書いていきます。

 

その人は最初はただの趣味で始めたことが、今ではフリーでも収入をいただけるようになっています。

それは若いころから色々な経験をしてきたから。

 

色々な経験が現在の仕事につながっていて、きちんとした夢や目標も持っています。

会社に属さなくとも、自分一人で立って歩ける力を持っています。

 

私はそういう人になりたいと思っていました。

 

大学を出て、新卒で入社した会社に正社員として勤める。いや、勤めなきゃいけない。

みんなが正社員だから、みんなが9:00〜18:00で働いているから、みんなが…
そういう思いが強くなり、私は自分のなりたい未来像や理想としている働き方を考えなくなっていました。
 

そういう「見えない束縛」に私はこの2年間縛られていたことに気が付きました。

 

 

フリーになりたい、とかそういうことではありません。もしかしたら、今後そう思う日が来るかもしれません。

 

 

その、いつかのために。

私の理想とする働き方を実現するために。

 

そのために、今は毎日目の前の仕事をやるだけでなく、色々な経験をしてみようと思います。

まずは動くことから。

何をすれば良いか分からなければ、聞くことから。

 

 

一つ一つ、できることを増やしていきたいと思います。

 

まずは、昔から興味があったPhotoshopを勉強することからはじめようと思います。

そしてライターとしてのスキルも磨いていきます。